私と今日の世界 真沙美

MASAMI Twitter➡︎ @eyesmasami アメブロ➡︎ https://ameblo.jp/zarathu0310 大滝詠一さんと松田聖子さん・関取花さん・GLIM SPANKYが好きです。よろしくお願いいたします。

「水道民営化」とは「水道私物化」のことである

【「みんなの財産」がほしい】

  国有林や水道・郵政の財産・資産は、これらに直接寄与したり、税金を払ってきたりした人たちの産みだしたものなので、いわゆる「国民の財産」である。いや、正確には、「国民」ではない人の貢献もあるのだから、「みんなの財産」である、と言えよう。

「民営化」の論理では、競争のない「国営」の場合、質の向上に努めていなくても倒産の心配がないためにサービスの質や効率が悪くなるという。

  また、組織の規模が大きいので、効率性や迅速性も良くなくなるうえに、アイヒマンのような当事者意識の欠如による無責任さも生じるらしい。

  したがって、「民営化」がぜひとも必要とのことである。

  なぜなら、競争の激しい世界にいる「民間」は「効率」などの向上に長けた力があるので、「経営のプロ」たる「民間」が非効率的な「国営」を「経営」すれば「効率」化がなされて利用者に利点・利益が生じて赤字が減るからだ。

  こういう理屈のもとに「『官』から『民』へ」というスローガンが高らかに掲げられて、マス=メディアには「民営化」の文字が踊り、「国営」企業が「民営化」されてゆく。


【民営化とは何か】

「民営化」には良いイメージがあるので、「『官』から『民』へ」という宣伝が功を奏しているわけだが、「民営化」とは、たんに「国営」が「民営」になるだけなのであろうか。

  英語では、「民営化」は「privatize」(プライヴァタイズ)。

  ロングマンの辞書には、「政府が所有し、支配していた産業や組織・サービスを売る事」(to sell an organization,industry,or service that was previously controlled and owned by a government)とある。

   誰に「売る」のか。

  オックスフォードの辞書ではこうなっている。ーー

「公のビジネスや産業・サービスを私的な所有や支配下に移す事」(transfer 〈a business, industry, or service〉from public to private ownership and control) 。

  要するに、長いあいだかけて築きあげてきた「みんなの財産」を「民間」に売り飛ばして、「民間」の「私的所有物」にすることが「民営化」、ということなのである。
  となると、「民営化」とは到底いえず、「私物化」と言ったほうが良いのではないだろうか。

 

【リスクを私たちに押しつける私企業】

「民営化」という「私物化」には「コンセッション方式」という手口もある。

  自治体(行政)が公共施設(「みんなの財産」)などの資産を保持・管理する一方、運営権を買った民間企業がサービスをおこなう方法である。

「コンセッション方式」では、災害の緊急時や復旧時の責任は自治体がおう一方、「私営企業」はおわない。災害に関する投資をおろそかにすることができるぶん費用が浮くのでヨリ儲けることができる。「水道私物化」(水道民営化)では一地域一企業という「規制」があるため、「民間のプロ」が誇る「競争原理」も働かない(「規制緩和」を言っておきながら、自分たちが得をする「規制」は作る私企業)。

「競争原理」が働かない中、自分たちが作ったものではないインフラを“タダ乗りで”使って、リスクは自治体、すなわち私たちに押しつけて美味しいとこ取りをするのが「コンセッション方式」による「民営化」あらため「私物化」なのである。


【公の物から私物へ】

  林業の民営化、郵政の民営化、水道の民営化などは企業による「私物化」のことである。もはや、「みんなの財産」ではない。「『官』から『民』へ」ではなく「『官』から『私物』へ」であり、林業の私物化、水道の私物化である。

「みんなの財産」を「官」とするのもゴマカシの手法であろう。

  しかも、「経営のプロ」が利潤を追求する結果、その反動によって店舗削減によるサービス悪化や利用料金の値上がり・社員の貧困化などは当たり前、あまつさえ《JR北海道》のように赤字をふくらませている場合がある。

 

【「民営化」と呼んでいいのか】
「民営化」という言葉は、「私物化」の実体をおおい隠して人々を騙すための詐欺用語である。「長いあいだかけて築きあげてきた『みんなの財産』」・資本を、コストをかけずに手に入れて儲ける私企業の手口でもある。

  だからこそ、「私物化」という御馳走やオコボレにあずかろうとする(あずかる)人たちが「民営化」を執拗に主張する例がたくさんあるのだ。「ピンハネ企業」の権化が、カルトが「修行するぞ!」と繰り返しているかのように、「民営化民営化」と躍起になっているのそのためである。

「私物化」を「民営化」と呼ぶと、その性格をぼやかすことになるので、「民営化」を使うことは、「私物化で儲ける側」の詐欺の一端をになうことになるのではなかろうか。

  だから私は、話したり書いたりするときには、「私物化」を使う理由を説明したうえで、「私物化」を使うことにしているのである。