マネー=クリスマス! 上編
【イルミネーションの光と闇】
クリスマスの時期になりますと、クリスマス用のフライド=チキンや贈り物・唐揚げ・ケーキなどが目につくようになります。
昨今では、家の窓からぶらさがった縄ばしごをのぼってゆくサンタ人形も散見されるでしょう。内側から光るサンタ人形を飾る家主のイメージとしては煙突をめざすサンタですが、サンタをよそおった泥棒にも見えます。
また、クリスマス仕様の電飾(イルミネーション)を外壁などに飾る家もあります。こういう家は、1970年代80年代にはまずなく、90年代の終わりごろから増えてきました。ディズニー=ランドの影響でしょうか?
ある地区では、一軒が電飾を始めたところ、ほかの家もやるようになった結果、「イルミネーションの街」として有名になりました。ちょっとした観光地になったため見物人がたくさん来るようになっています。
「電飾」の家の住人には、「イルミネーションの街」としてオカネをかけて有名になった、という思いがあります。
また、おなじ地区でも「電飾」をしない家のせいで、「イルミネーションの街」の所々が虫食いのように暗くなっているため、「電飾の家」には「電飾をしない家」が不満のタネになっています。
一方、飾らない家にとっては、大勢が押し寄せるせいでゴミの散乱や交通渋滞・騒音が生じるので、夜の静穏や睡眠がさまたげられることが「不満のタネ」になっており、その矛先がむかうのは「電飾の家」です。
こうした双方の「不満」の結果、住民同士の仲はうまくいっていません。
「イルミネーションの街」、光あるところに闇ありです。
【イルミネーションは顕示消費】
こういう顕示消費行為そのほかの商行為はクリスマスの風物詩です。
しかし、色つき電球で家を粉飾しないとか、クリスマスには贈り物をしなさいとか、お寿司やチキンを食べなさいとか、そういうことは聖書には一切書かれていません。
また、日本に見られるような、諸外国からは白い目で見られている傾向にあるカップル(日本語で言うと「つがい」かな)の「性なる夜」(聖なる夜)についても書いていないのはもちろんのことです。
にもかかわらず、クリスマス=プレゼントをクリスマスにするのはどうしてなのでしょう? 何か尊い聖なる理由があるのでしょうか?
【クリスマス=プレゼントの始まりは?】
アメリカ合州国では、11月の第4木曜日に始まる感謝祭(thanksgiving day)からクリスマスまでの1ヶ月間、クリスマス商戦がつづきます。
その売り上げは約50兆円。生み出すゴミは500万トンほど(マツコデラックスさん何千万人ほどのデラックスなムダづかい・重さ)。多くの人はカードで借金してまで物を買っています。
物欲にまみれたクリスマス=プレゼントというこの“慣習”は、それほど人々に根づいているわけです。かと言って大昔からつづいている商行事ではありません。悠久の歴史から見ればごく最近のこと。今から100年ぐらい前のことです。
ニューヨークに本部をおく世界最大のデパート《Macy's》(メイシーズ・1858年設立)がクリスマス=プレゼント運動を大々的に商行為として始めました。
年末に商品が売れ残っていると税金を払わなければならないため、そうならいっそのこと商品を安くしてクリスマスに大売り出しをして、余計な税金を払わずにカネモウケをしよう!
《Macy's》のこの商魂が、現代的なクリスマス=プレゼントのキッカケです。
また、保護者が子供を徹底的にだます最初の出来事と言っていい「サンタさんからのプレゼント」も《Macy's》が始めました。
より多くのヒゲソリを使ってもらうために“ムダ毛の処理で美を”というような美辞麗句をもとにした宣伝で女性にもヒゲソリ(カミソリ)を広めた会社のように、《Macy's》も需要のないところに需要を喚起したわけです。
当時の《Macy's》としては、自分たちの理屈づけや「企画」がカネモウケの手段にすぎないことを百も承知であったことでしょう。資本主義は、知っている者がそうではない者を利用してカネモウケをすることだ、とも言われますが、《Macy's》の商行為にもそういう点が見受けられます。アニメの『サザエさん』が、サンタのプレゼントがインチキであることをバラしますと、「子供たちの夢を壊した」と憤慨して、テレビ局に抗議する人たちがいるほどの大成功です。
【サンタのモデルが実際にやっていたこと】
伝わっている話によりますと、サンタのモデルである実在の人物ニコラスは、そういう保護者たちとはちがって、自分の子供ではない子供たちに、木製の、ニコラス手製のオモチャをあげていました。聖なる慈悲ある行為です。
決して、決して、自分の子供だけに何かを食べさせてやったり、「自分の子供だけに何かを」やる行為は、サンタの精神ではないのです。
プレゼントをするなら、「タイガーマスク運動」のように、養護施設にもプレゼントやケーキを贈るのもいいかもしれません。
そもそもクリスマスは「イエス様のお誕生日」であるはずなのに、当のイエスに贈り物(たとえば供物=くもつ)をするのではなく、自分の子供や恋人・妻・夫などに贈り物をするのは、贈る相手が間違ってはいませんか? 誕生日である当人のイエスにケーキではなく、自分たちで食べるのはなぜ?
(@_@)
【イエス様と崇めているのに誕生日を捏造】
クリスマスはイエスの誕生日、ということになっています。しかし、クリスマス=プレゼントなどと同様、聖書には、イエスの誕生日は記録されていません。
12月25日がイエスの生誕日だというのもデッチアゲなのです。イエスの誕生日とはぜんぜん関係ありません。
誕生日捏造の起源には諸説あります。
キリスト教に宗旨替えした古代ローマ人が、太陽神ミトラスを祭る日だった冬至を誕生日にした、という説が一番有力な説です。もともとは、冬至の儀式をおこなう日でした。
誕生日と言われる12月25日とイエスには関係がありませんから、ロシアでは、クリスマスを1月におこないます。正教会(Orthodox Church)では、ギリシャの国教であるギリシャ正教の教会のクリスマスは1月6日です。
おまけに、クリスマスには欠かせないクリスマス=ツリーも、あぁ、またしても、クリスマスとは関係がありません。
クリスマス=ツリーに使われるモミの木は寒いところに生育するマツ科の常緑高木(じょうりょくこうぼく)。イエスの生誕地である暑いエルサレムには生えません。
イエスの誕生日と「ツリー」は無関係なのですから、「ツリー」を飾ってクリスマス、そして「プレゼント」、しかも誕生日ではない人への「プレゼント」という行いは、デタラメのお重箱なのですね。
しかし、それにしても、どうして「ツリー」が飾られるようになったのでしょうか?
中編につづく!
(*´∀`)♪