私と今日の世界 真沙美

MASAMI Twitter➡︎ @eyesmasami アメブロ➡︎ https://ameblo.jp/zarathu0310 大滝詠一さんと松田聖子さん・関取花さん・GLIM SPANKYが好きです。よろしくお願いいたします。

「日本人」とは何か?

  アイヌのように、所属する民族名と国名が一致しない場合、昨今では、民族やルーツのアイデンティティを示すべくそれらを「何々系」であらわして、国籍の「何々人」の前にくっつけるというやり方がおこなわれています。日本人であるアイヌは「アイヌ系日本人」です。

  そして究極のところ、「日本人とは何か」といった場合、出生地や「血」が日本だとかアジアだとかには関係なく、はたまた日本を愛しているか否かということが根拠ではなく、日本の国籍を取得している人が日本人、ということになります。国籍により「何々人」が決まる、ということです。

  普通いわれる「日本人論」に見られる「日本人とは何か」は、「日本民族とは何か」を暗に指していると考えていいでしょう。
  しかしこれでさえ、誇りある東北人が“私は日本民族すなわち大和民族ではない”と喝破することがありますように、北海道・東北・関東・九州などのそれぞれの歴史や文化はちがいますし、一地域に絞ったところでも細分化されていますから、おおざっぱな問いかけではあります。
  執筆年7世紀の『隋書』の「東夷伝」には、「東で秦王国(はたおうこく)へと行き着く。秦の人々は華夏(中国人)とおなじなのに、なぜ夷州(野蛮な国)とするのかわからない」と書いてあります。

  飛鳥時代の古代日本には「秦王国」という中国人の国が日本の地にあった、ということです。日本という国土において中国人と日本人は交流して“混血”していきましたから、まったく身に覚えがなくても、現代の日本人には華夏人(中国人)の「血」も流れていることでしょう。事実、中国人と日本人の「DNA」は重複しています。ですから、中国人をそしることは己をそしることであり、逆も然りではないでしょうか。
“これぞ日本人の心”なぞ定義できますまい。

 

〈おことわり〉

  本拙文は、拙文「母国語と母語」からの一部抜粋です。