私と今日の世界 真沙美

MASAMI Twitter➡︎ @eyesmasami アメブロ➡︎ https://ameblo.jp/zarathu0310 大滝詠一さんと松田聖子さん・関取花さん・GLIM SPANKYが好きです。よろしくお願いいたします。

母国語と母語

【民族名と国名の不一致】

  日本にはアイヌ民族がいます。日本で生まれ育っている場合、国籍は日本であることが一般的です。こういう場合アイヌ民族でも「アイヌ人」ではなく「日本人」ということになります。

  このように、国籍の名前と民族名が一致しない民族が多々います。

  たとえば、トルコ・イラク・イラン・シリア・ドイツなどのさまざまな国に住むクルド民族は世界に推計数千万人もいると言われていますが、みずからの国「クルド国」を持っていません。ドイツの国籍を取得したクルドの人は、クルド民族であろうともドイツ人です。

  たとえばまた、ユダヤは、通常「ユダヤ人」と言われますが、「ユダヤ国」はありませんので、本来ならそう表現することはできません。正確には、「ユダヤ民族」とも言えないでしょう。

ユダヤ」の内実を見ますと、歴史的にも地域的にも言語的にも多様なので、「民族」の概念とはあわないからです。起源をさかのぼればちがいますものの、「民族」に見られるような、これぞ「ユダヤ民族」といういわゆる人種的特徴もありません。

ユダヤ」に共通するのは、ユダヤ教を信奉するユダヤ教徒、という一点だけです。また、「〈ユダヤ人〉をある人種や民族と規定する見方は十九世紀以降のナショナリズム社会進化論、また反ユダヤ主義思想の産物」(大澤武男さん)[注1]ということもありますので、「ユダヤ教徒」あるいは単に「ユダヤ」と呼ぶほうが正確でしょう。

  イスラエルにつきましてもよく言われる「ユダヤ人の国」ではなく、そのような別称を使いたいのであれば「ユダヤ教徒の国」ないしは「ユダヤの国」となりますが、一般的にイスラエルだけ国名にもとづいて「何々人の国」と言わない現状はおかしいことですし、クリスチャンやムスリムもいるのですから、ほかの国と同様の言い方をして「イスラエル人の国」です。


【日本人とは何か?】

  アイヌ民族のように、所属する国名と民族名が一致しない場合、昨今では、民族やルーツのアイデンティティを示すべくそれらを「何々系」であらわして、国籍の「何々人」の前にくっつけるというやり方がおこなわれることがあります。日本人であるアイヌ民族は「アイヌ系日本人」です。

  そして究極のところ、「日本人とは何か」といった場合、出生地や「血」が日本だとかアジアだとかには関係なく、あるいは日本を愛しているか否かということが根拠ではなく、はたまたとことん日本を憎悪していようとも、日本の国籍を取得している人が日本人、ということになります。国籍により「何々人」が決まる、ということです。むろんその国籍の証明書には、「何々系」は必要ありません。

  ですから、ある人が「アイヌ系日本人」だとしましても、厳密に申しますと、この表現は使わないほうが賢明でしょう。なぜなら、「何々系」がつかない差別主義者である「日本人」に、「あいつは『日本人』とは言っても実は『アイヌ系』だ」、と言える余地をあたえることになるからです。

  いわゆる「アイヌ系日本人」は、日本の国籍を取っているので、たんなる「日本人」です。「韓国系日本人」とか「朝鮮系日本人」とかもいません。日本の国籍を取っていれば、その人は「たんなる『日本人』」です。

  普通いわれる日本人論に見られる「日本人とは何か」は、「日本民族とは何か」を暗に指していると考えていいでしょう。

  しかしこれでさえ、誇りある或る東北人が、“私は日本民族すなわち大和民族ではない”と喝破することがありますように、北海道・東北・関東・九州などのそれぞれの歴史や文化はちがいますし、一地域に絞ったところでも細分化されていますから、おおざっぱな問いかけではあります。

  執筆年7世紀の『隋書』の「東夷伝」には、「東で秦王国へと行き着く。秦の人々は華夏(中国人)とおなじなのに、なぜ夷州(野蛮な国)とするのかわからない」と書いてあります。

  飛鳥時代の古代日本には「秦王国」という中国人の国が日本の地にあった、ということです。日本という国土において中国人と日本人は交流して“混血”していきましたから、まったく身に覚えがなくても、現代の日本人には華夏人の「血」も流れていることでしょう。中国人をそしることは己をそしることであり、逆も然りです。

“これぞ日本人の心”なぞ定義できますまい。


【「母国語」が招く混乱】

  国籍による「何々人」の決まり方には大きくわけて二通りあります。血縁主義(血統主義)と地縁主義(出生地主義)です。

  日本の場合、「血縁主義」を採用していますから[注2]、ドイツ人の親の赤ちゃんが日本で生まれた場合、どいつもこいつもドイツ人です。このように赤子の「血縁」をもとに「何々人」を決めるのが「血縁主義」になります。

  他方「地縁主義」においては生まれた土地で国籍が決定します。アメリカは「地縁主義」です。日本人が赤ちゃんをアメリカで産めば、その夫婦が生粋の日本人でも、アメリカ人にもなります。歌手の宇多田ヒカルさんがその一例です[注3] 。

  これとは別に、出産のときにアメリカで産まれた赤児が、そのご日本に帰国して日本で育った場合、英語が話せない例があります。そして、アメリカ国籍を取ったとしましょう。この場合、「母国語とは何か?」という問題が生じます。その子供の「母国語」は日本語になりますが、産まれも国籍も「母国」はアメリカです。「母国」は「アメリカ」なのに、「母国」語は「日本」語、ということになります。

  たとえば、日本で産まれたあるアイヌ民族アイヌ語で育った場合、いわゆる「母国語」はアイヌ語ですが、「母国」は日本です。しかし、「母国語」とは「母国」の言「語」のことなのですから、それは日本語でしょう。ところが、実際は、日本語は話せずに、アイヌ語しか話せません。

  先のアメリカ生まれの例で申しますと、「母国」は合州国ですが、「母国」語は、「母国」の言葉という意味なのに、スペイン語や英語ではなく日本語になってしまいます。


【「母国語」と「母語」の峻別を】

「母国語」に相当する英語の「mother tongue」の「tongue」には「国語」の意味がありますから、「mother(母)tongue(国語)」と訳しておしまいにしてしまった怠慢がそもそも問題でした。

母語」という概念が必要です。

  ここでいう「母語」とは、その人が話す唯一あるいは第一言語のことです。国によりましては一地域において多数の言語が同時に使われている結果、複数の言語を第一言語のようにしている人もいますから、こういう場合「第一言語」や「母語」は複数になるのかもしれません。

  また、日本は多民族国家ではありませんでしたので(単一民族国家と言っているのではない)、「母国語」と「母語」の符合する例が一般的でしたから、「母国語」の吟味をなおざりにして「母国語」=「母語」としてきましても、大勢にとりましてはさして支障がありませんでした。

  しかしながら、日本が多民族国家へと変貌してゆくような現状、そしてそもそも現実と言葉の整合性の点で「母国語」にまつわる不整合の整理の周知が必要であり、「母国語」と「母語」を区別して使うことが必要でしょう。

「母国語」のみでは、それにまつわる情況がおかしな事態になってしまいますが、「母語」という観念を持ちますと、「私はアイヌ語母語とする日本人です」とか、「わたくしは日本語を母語とするアメリカ人です」とか言えるようになりますので混乱がなくなります。

「母国語」を使いたいのであれば、「母国」での共通言語・公用語の意味として使えばいいのではありませんか。ですから、先のアイヌの例で申しますと、こうなります。ーー
「私の母国である日本の母国語は日本語ですが、私はアイヌ語母語とする日本人です」

 


[注1]

  大澤武男著『ユダヤ人とドイツ』(講談社現代新書)。

[注2]

  父母とも不明の場合や、父母が無国籍の場合、子供が日本で産まれていれば、地縁主義的に日本の国籍を取得することができます。

[注3]

  アメリカで産まれた宇多田氏は両親が日本人ですので、日本人でもありアメリカ人でもあるわけですが、「地縁主義」のアメリからしますと、日本人を親に持つアメリカ人ということになりますから、「日系アメリカ人」になります。日系アメリカ人 - Wikipedia 。

  日本の法律では「日本人」です。