甘い小説家・藤谷治さん
【生活と「恩義」のために】
藤谷治さんは、「新人賞も取らずに持ち込み原稿で小学館にデビューさせてもらいこんにちに至っている」小説家です。その後も「何作も何作も小学館から出している」ので、《小学館》に「恩義」を感じています。
『週刊ポスト』2019年9月13日号には、「厄介な隣人にサヨナラ 韓国なんて要らない」などの見出しが表紙や記事に踊ったため批判が殺到、発行元の《小学館》は「謝罪」しました。
この件に関して、藤谷さんはこう言っています。ーー
「差別的な言辞を広告に使った出版社に書かない、というのは、僕はおかしいと思うからだ。差別に抗議するなら、差別に対して意識の希薄な媒体にこそ書くべきじゃないだろうか。『週刊ポストは間違っているぞ』と書かれるべきは、第一に『週刊ポスト』誌上じゃなかろうか」(2019年9月2日のTwitter)。
【批判対象を批判するな】
『週刊ポスト』(以下『ポスト』)が差別扇動をしたから「抗議」したいのに、当の『ポスト』に対してではなく、「差別に抗議するなら、差別に対して意識の希薄な媒体にこそ書くべき」と言っています。
『ポスト』に「抗議」をするのはお門違い、というわけです。
【「第一に」ブログに書くな】
また、先のツイートの後半で、「『週刊ポストは間違っているぞ』と書かれるべきは、第一に『週刊ポスト』誌上」とも言っています。
物書きではない超圧倒的大多数は『ポスト』に書きたくても書けません。Twitterやブログなどには書けます。しかし、「書かれるべきは、第一に『週刊ポスト』誌上」とのことですから、「ブログなどに」「第一に」「書かれるべき」ではない、ということになります。
この「べき」は、「ブログなど」で『ポスト』の「差別扇動」を批判している人たちに対する「批判」であり、牽制でもあるでしょう。
ちなみに、《小学館》発行の『SAPIO』は今回の『ポスト』のようなことよりももっと“過激”なことを長年やってきています。
中国や韓国などの隣国との対立や差別を“社是”としてあおってきました。しかし、ほかの非常に非常に多くの物書きと同様、そういう『SAPIO』には反応してこなかったのに、今回のことで藤谷さんは反応しているのですから、『SAPIO』については今までずっとなんとも思っていなかったのかもしれません。世間で大きな話題になっているときには反応して見せる「良心」とは何なのでしょうか。
【甘く見られている書き手】
以上をまとめると、こうなります。ーー
①『ポスト』の「差別に抗議」したい人がいっぱいいるのに、『ポスト』に対してではなく、「差別に抗議するなら、差別に対して意識の希薄な媒体にこそ書くべき」と主張している。
②『ポスト』の“間違い”を書きたいなら、「第一に」『ポスト』に「書かれるべき」と、「超圧倒的大多数」には無理なことを言っている。
これでは、『ポスト』への「抗議」ができなくなってしまいますね。
( ˘ω˘ )
藤谷さんは、韓国ヘイトをあおった『ポスト』をかばうために口封じの言をろうした、と言ってもいいでしょう。
ある小説家は、「どうせそういう風に庇ってくれる人がいるからとたかを括って、ヘイトを垂れ流しているのにね。読み手も書き手も甘く見られてるんだよ」と、「売文の徒」の言を喝破しています。
[追伸]
お時間をさいて、お読みいただき、誠にありがとうございました。
嬉しく感じております。
(^∇^)
【お知らせ その1】
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【お知らせ その2】
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