『知的複眼思考法』と「トンボ思考法」
【複眼は単眼】
「複眼思考」と「単眼思考」という言葉がある。
「単眼思考」はひとつの視点や立場で考えたり見たりすることであり、「複眼思考」は多様な視点で「考えたり見たりすること」であるという。
多面的に見れたほうがいいので「複眼思考」がいい、というわけであるが、「複眼」とはそもそも何であろうか。
「複眼」は、小さな目のような「個眼」(こがん)というこれひとつでは機能しない“眼”がたくさんあわさってひとつの「眼」として働く「眼」のことである。
約2万個の「個眼」を持っているトンボには「2万」の視点があるわけではなく、「複眼」ふたつの「眼」だけを持っているにすぎない。そのひとつの「複眼」にたくさんの「個眼」があるからといって、そのぶんの独立した像がある、ということではないのである。要は、「複眼」も「単眼」、ということだ。よって、「単眼思考」も「複眼思考」もおなじ意味になるであろう。
【恥的単眼思考法】
苅谷剛彦著『知的複眼思考法』(講談社+α文庫)という本がある。言わんとすることはわかる。しかし、語用や題に関しては、「複眼」に無知なことが露呈しているといえよう。
“「複眼」と「単眼」はちがうもの”という誤った「常識」にとらわれた「単眼」さ、自然科学を知らない「単眼」さがあるのだから、これでは、『恥的単眼思考法』あるいは『痴的単眼思考法』ではないか。
【知的トンボ思考】
「複眼」うんぬんのことを言いたいのなら、普通に、「多元的」や「多面的」・「多様的」で十分であろう。
「多元的」⇔「一元的」、「多面的」⇔「一面的」、「多様的」⇔「一様的」というように、反対語もある。
また、トンボは「複眼」ふたつに「単眼」みっつを持っているから、比喩的にいえば複数の視点を持っていることになるので、「トンボ思考法」はどうであろうか。
昆虫写真つきのジャポニカ学習帳を絶滅させた昆虫嫌いの、“土”を知らない教員などの「単眼」さに「トンボ思考法」がほしいところである。
しかし現状は、「多元思考」などよりは「複眼思考」のほうをカッコよく思う人が多い傾向にあるので、そちらの人気があるのであろう。
【多元的に物事を】
「複眼思考は最強のリテラシー」。そう言うにおよんでは、たしかに「リテラシー」が必要である。
「単眼思考は常識的な見方」とか「複眼思考で独自に考える」とかいって、“自分は単眼思考におちいっていなくて複眼思考がわかっている知的な通人”という風に“知的”(痴的)ぶったままにしていると、おのれの「単眼」ぶりがバレてしまうであろう。