「ヘイト=スピーチ」は「殺人扇動」である
【「ヘイト=スピーチ」は「憎悪」する側の言葉】
いわゆる「ヘイト=スピーチ」(hate speech)は「憎悪表現」と訳されているが、これは発言者や第三者の視点による表現である。
しかし、「ヘイトされる側」から見るとーー
「何々人は殺せ」➡︎殺人教唆
「何々人はゴキブリ」➡︎侮辱
「祖国へ帰れ」➡︎強要
ということになるであろう。
したがって、いわゆる「ヘイト=スピーチ」は「表現」どころではない。「される側」には立派な殺人教唆・強要・侮辱なのである。
「ヘイト=スピーチ」は、「する側」の行為にもとづいた言葉であり、その内容や字面が軽く見えてしまう用語だ。
「今日、韓国・朝鮮人に対するヘイト=スピーチのデモが錦糸町でありました」と報道するよりも、「今日、韓国・朝鮮人に対する殺人教唆・強要・侮辱をおこなうデモが錦糸町でありました」という説明のほうが、「される側」にそった言い方であり、実体をもあらわしている。
そしてその手のものがいかにヒドいかがハッキリとわかるであろう。
たとえば、「良い韓国人も悪い韓国人もどちらも殺せ」というプラカードは、「する側」には「憎悪」を発散・拡散・扇動する道具である。第三者である多くの日本人には、命の危険は感じないものにちがいない。
しかし、当の韓国・朝鮮人からすれば、“誰かがお前を殺しに行くぞ”・“おまえを殺すぞ”という現実の迫り来る脅迫にしか見えず、朝鮮・韓国人のこの恐怖が、「ヘイト=スピーチ」では甘すぎて第三者には伝わらない。
「ヘイト=スピーチ」が、「する側」の言葉だからである。
【犯罪を隠す「いじめ」という言葉】
殺人教唆などを「ヘイト=スピーチ」とあらわすと、その危険性やヒドさが一般には伝わりにくくなったり、甘い見方がされたりしてしまう。
このことは、「いじめ」についても言えるであろう。
強制性交や自殺教唆・暴行・傷害・脅迫などの行為を「いじめ」と表現すると、実態が伝わりにくくなったり、「実態」をおおったりしてしまう。だからこそ、本当は「自殺教唆」などなのに、「いじめ」が往々にして軽いもの、「おふざけ」としてあつかわれ、被害者が不利益をこうむることが連綿とつづいているのだ。
【「ヘイト=スピーチ」は殺人扇動である】
いわゆる「いじめ」に関しての報道では、「自殺したA君は『死ね・殺す』と言われるいじめを受けていた」という言い方が普通である。
しかし、「自殺したA君は『死ね・殺す』と言われる自殺教唆や脅迫を受けていた」とすれば、実態をあらわした正確な「される側」の言葉になる。そして「される側」から見た言葉が恒常的なものになれば、「する側」の所業をあやふやにする「おふざけ」として「自殺教唆」を誤魔化すことはもはやできない。
「ヘイト=スピーチ」はその本質をぼやかす「する側」の「表現」であり、「殺人扇動」が「される側」の言葉である。